舞城王太郎作品の主人公は、桜野くりむだった!? 『現代小説のレッスン』石川忠司 の感想

僕は舞城さんの作品をいくつか読んである。
『現代小説のレッスン』に舞城王太郎さんの作品について書かれていた。

188-189頁を要約すると

阿修羅ガール』の主人公愛子はあまりにもストレートに結論へと到達している。
小説においては主張がいかに素晴らしくとも、そんな主張それ自体よりも主人公がそこにいたる困難な経験のほうが重要で、その経験だけが当の主張に躍動的なソウルを付与できるのである。

いきなり名言を放つ『生徒会の一存』の桜野くりむに聞かせたい言葉ですねw

 


現実もこの通りではないだろうか?
主張をしている当人の「行い、過去」はどうなの?感。
福満しげゆきさんみたいに言わせていただきますね。
日本で成功してビジネス本出していたりする人って、ほとんどの人は、自分の家族がどれだけお金持ちだったか、とかって明かさないですよね。
いきなりポジティブアクションを起こせる精神を持っていて
いきなり気に入った本の著者や気になるビジネスの先達に会いに行ってそのコネから成功した、みたいなプロセスがよく語られていますよね。
しかしそのような思考法ができる事自体が家庭環境やら生育環境やらによって大部分が決まってしまうわけです。
実際、成功した経営者さん、作家さんなんかのプロフィール読んでも、「親がアル中でDVだったとかギャンブル依存症だったとか、母子家庭だった」とかほとんど見たことないです。

それゆえに、「生まれが不利」を明かしている人を僕は応援したくなってしまいます。

この事自体が隠蔽されている感が日本にはある感じがします。
それこそ以前書いた谷本真由美さんの『キャリアポルノ』でも指摘されていたことですけれど。